声明や読経は神仏へのお供え(2017年7月1日)

 

DSC_0012s声明や読経は、神仏へのお供えの一つです。これはもちろん声に出して、声明は演奏したり読経は唱えたりするわけですが、実感として「口で行う」というよりむしろ、全身の各臓器から声を出すというのが適切のようです。そうしていると、じっとりと汗さえ出てくるほどです。儀礼は儀礼であるにとどまらず、心をこめてお供えを行うことで、神仏との交感の手段になりえます。いま「行とはなにか」の問いから離れられませんが、そしていろいろな方々から示唆をいただいている最中ですが、ここが出発点かと考えます。そして、現在仕事として事業化となっている、高野山地域の地方創生の起点もまた「修行道場としての高野山」を考えることから始まるのだと感じています。2017年の後半が始まる日、自身への忘備録としても記しました。今後もよろしくお願いします。