当会の稲作講師 田中新一郎さん

 

新一郎

2013年3月の第1回環境協働会議。

本橋喬さんが高齢のため、稲作をやめることを決心した2013年、水源・新河岸川のほとりにある水神さまのご縁で、本橋さんの水田の現状を知ることになり、和光の稲作をどうやって残していこうか、議題として話し合われた。そのとき、唯一の稲作農家として会議に出席してくださった田中新一郎さんは言った。

「あと何年かのうちに和光の水田はなくなっていく。ものごとはなるようにしかなりません。私において、なぜこんな中で続けてきたか。それはただ、私は米づくりが好きなんです。それだけなんですよ」

新一郎さんはもちろんお米だけをつくっているのではない。農協の和光出荷組合の組合長であり、何種類もの野菜を生産し、日々、出荷する専業農家だ。千春さんという立派な後継者もいる。そんな中で、和光市内において本橋さんとともに最後まで米づくりにこだわってきたのは、「田んぼが一番いいんだよ」というその一言にすべてがあらわれている。

この年、私たちは環境協働会議として本橋さんと一緒に米づくりを続けることになり、田中さんにも苗づくりや折々のアドバイスなどで継続的にお世話になることになった。

それから早くも1年半が過ぎ、稲作2年生となった私たちと田中さんの距離は少しだけ縮まった。

最近、新一郎さんは稲作の市民体験活動を見て来て思うことがあると次のように話してくれた。一言一句は彼が言ったそのままではないが、まとめると次のような主旨となる。

「多くの現代人は自分の思いでいろいろなものを変えようとしてしまう。物事をそのまま受け止め、味わうことに慣れていない。だから今の子どもたちはありのままを理解することができなくなる」

現代の文明生活に合わせて農業を考えようとすると、自然のサイクルを重視した視点からは外れてしまう。これは体験活動を運営する際、とても難しい論点となっている。

新一郎さんの父・故・田中久作さんは、徹底して自然の摂理を重んじて生きた。むかしながらの稲作の方法を和光にのこしたのは久作さんだ。

「父には最後までかなわなかった」と言って目を伏せた初七日の新一郎さん。

久作さんは亡くなってはいますが、2014年の和光の田んぼを、やはり生前と変わらず、見守ってくださっているように、私には感じます。